KAZE通信
風土計画一級建築士事務所の事務所日記
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新緑の飛騨高山と白川郷③
Category 学び
今回もひきつづき飛騨高山のレポートです。
JR高山駅から少し離れた静かな通りに古い町並みが保全されています。
その中でも日下部家と吉島家は隣り合って建てられていて
飛騨高山を代表する町屋建築です。
今回は巨匠チャールズムーアが来日した際、
自分が見たうちでは最高の日本建築であると絶賛した吉島家を見学することができました。
吉島家は明治38年の火災後に明治40年名工西田伊三郎によって再建されたもので、昔の造り酒屋の面影を伝える商家です。
正面入り口、引両紋(ひきりょうもん)のはいった暖簾をくぐると
広い土間になっています。
囲炉裏が土間を介して2ケ所あり、主人と使用人のもののようです。
ここにも、2つの部屋には畳の縁や建具等の造りに違いが有りました。
土間の吹抜は大黒柱を中心に梁、束が立体格子となっていて、夕方なのに高窓の光が土間を明るく照らしていました。
吹抜部分で天井空間は一体となっているのに繊細なデザインの建具だけで部屋が隔ててあり、 (しかも障子)こんな造りもあるのだと感じました。
1階土間奥はモダンなデザインのギャラリーとなっていて町屋造りに溶け込んだ空間となっていました。
2階の床は段差が多く、空間を有効に使う手段なのでしょう。天井もアールを付けたり、折り上げたりと屋根の形に添わしたデザインになっていました。天井材料の使い分けの参考にもなりました。
2階奥には床の間付きの座敷があり、寒い地方なので2階の一番暖かい場所に大切な部屋が設けられてあるのでしょうか。
吉島家を見学して感じたのは木材の加工も美しいのですが、梁、柱、床板どれも艶が出るほど磨かれており大切に使われていました。日々の丁寧な暮らしがあったのだなと感じました。
(写真:左・酒神を祭る三輪神社の杉玉を軒先に下げている)
(写真:右上・立体格子の土間奥に少し写っているのがもう一つの囲炉裏部屋)
(写真:右下・2階奥の座敷、床柱はふじの木)
JR高山駅から少し離れた静かな通りに古い町並みが保全されています。
その中でも日下部家と吉島家は隣り合って建てられていて
飛騨高山を代表する町屋建築です。
今回は巨匠チャールズムーアが来日した際、
自分が見たうちでは最高の日本建築であると絶賛した吉島家を見学することができました。
吉島家は明治38年の火災後に明治40年名工西田伊三郎によって再建されたもので、昔の造り酒屋の面影を伝える商家です。
正面入り口、引両紋(ひきりょうもん)のはいった暖簾をくぐると
広い土間になっています。
囲炉裏が土間を介して2ケ所あり、主人と使用人のもののようです。
ここにも、2つの部屋には畳の縁や建具等の造りに違いが有りました。
土間の吹抜は大黒柱を中心に梁、束が立体格子となっていて、夕方なのに高窓の光が土間を明るく照らしていました。
吹抜部分で天井空間は一体となっているのに繊細なデザインの建具だけで部屋が隔ててあり、 (しかも障子)こんな造りもあるのだと感じました。
1階土間奥はモダンなデザインのギャラリーとなっていて町屋造りに溶け込んだ空間となっていました。
2階の床は段差が多く、空間を有効に使う手段なのでしょう。天井もアールを付けたり、折り上げたりと屋根の形に添わしたデザインになっていました。天井材料の使い分けの参考にもなりました。
2階奥には床の間付きの座敷があり、寒い地方なので2階の一番暖かい場所に大切な部屋が設けられてあるのでしょうか。
吉島家を見学して感じたのは木材の加工も美しいのですが、梁、柱、床板どれも艶が出るほど磨かれており大切に使われていました。日々の丁寧な暮らしがあったのだなと感じました。
(写真:左・酒神を祭る三輪神社の杉玉を軒先に下げている)
(写真:右上・立体格子の土間奥に少し写っているのがもう一つの囲炉裏部屋)
(写真:右下・2階奥の座敷、床柱はふじの木)
<Kusu>