KAZE通信

風土計画一級建築士事務所の事務所日記
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新緑の飛騨高山と白川郷④
 ちょっと建物探訪から外れます。torei4.jpg 
 夕食は地元の食材ばかりで、とても美味しくいただきました。そのなかで、山魚の塩焼きに違和感が。私は、海魚も山魚も、頭の方を左に、そして迷うことなく手前に腹がくるように盛り付けるものだと思っていました。しかし、川魚は背の方に脂がのっているので、手前に背がくるように盛り付ける、「海腹山背」という言葉があるそうです。一瞬間違って置いたのかと思いましたが、興味深い説明を聞くことができました。
 食事中、床の間にあった書が解読できず、気になったので会場の方に聞くと「すみません、わかりません。自分も気になっていましたので、他のものに聞いてお答えします」と。そのまま夕食を終えたのですが、翌朝フロントで、その方からのお手紙を受け取ると、書の内容と意味が書き添えてありました。丁寧な対応に心があたたまりました。こういうことが本当に大切だと思いました。
 朝食では、高山名物の朴葉味噌焼きに赤かぶ漬けも堪能し、心置きなく高山を出発と思っていましたが、高山の最後に「宮川朝市」へ。地元の野菜、赤かぶ漬け等のお漬物、りんご、民芸品等が並ぶテントが宮川沿いにずらり。早朝から多くの観光客が集まっていました。飛騨高山で作られる人形・猿の赤ちゃんを意味する「さるぼぼ」を並べるお店もあり、家庭円満・家内安全・厄除け等のお守りということで、一つ記念に購入。地元の方との素朴で気さくなやりとりが楽しかったです。この後、レンタカーの中はお土産に買ったお漬物の香りが。これもいい思い出です。
 いよいよ最後の訪問地・白川郷へ出発です。(Tsuki)
新緑の飛騨高山と白川郷③
 
 今回もひきつづき飛騨高山のレポートです。
JR高山駅から少し離れた静かな通りに古い町並みが保全されています。
その中でも日下部家と吉島家は隣り合って建てられていて
飛騨高山を代表する町屋建築です。
今回は巨匠チャールズムーアが来日した際、
自分が見たうちでは最高の日本建築であると絶賛した吉島家を見学することができました。
吉島家は明治38年の火災後に明治40年名工西田伊三郎によって再建されたもので、昔の造り酒屋の面影を伝える商家です。
正面入り口、引両紋(ひきりょうもん)のはいった暖簾をくぐると
広い土間になっています。
囲炉裏が土間を介して2ケ所あり、主人と使用人のもののようです。
ここにも、2つの部屋には畳の縁や建具等の造りに違いが有りました。
土間の吹抜は大黒柱を中心に梁、束が立体格子となっていて、夕方なのに高窓の光が土間を明るく照らしていました。
吹抜部分で天井空間は一体となっているのに繊細なデザインの建具だけで部屋が隔ててあり、 (しかも障子)こんな造りもあるのだと感じました。
1階土間奥はモダンなデザインのギャラリーとなっていて町屋造りに溶け込んだ空間となっていました。
2階の床は段差が多く、空間を有効に使う手段なのでしょう。天井もアールを付けたり、折り上げたりと屋根の形に添わしたデザインになっていました。天井材料の使い分けの参考にもなりました。
2階奥には床の間付きの座敷があり、寒い地方なので2階の一番暖かい場所に大切な部屋が設けられてあるのでしょうか。
 
 吉島家を見学して感じたのは木材の加工も美しいのですが、梁、柱、床板どれも艶が出るほど磨かれており大切に使われていました。日々の丁寧な暮らしがあったのだなと感じました。

(写真:左・酒神を祭る三輪神社の杉玉を軒先に下げている
(写真:右上・立体格子の土間奥に少し写っているのがもう一つの囲炉裏部屋)
(写真:右下・2階奥の座敷、床柱はふじの木)

<Kusu>
新緑の飛騨高山と白川郷②
 
 今回は飛騨高山のレポートです。
JR高山駅付近の中心市街地は江戸時代以来の城下町・商家町の姿が保全されており
その景観から飛騨の小京都と呼ばれています。
高山市内の古い町並みを散策中、屋台蔵に収納している途中の屋台を見ることができました。
屋台に描かれているのは鯉でしょうか? 金具、漆工、織物どれも美しく絢爛豪華でした。

飛騨高山ではまず、全国に唯一現存する郡代・代官所高山陣屋を見学。
幸運にもガイドの方についていただくことができ、より詳しく陣屋見学ができました。
< 高山陣屋は江戸幕府の郡代所で明治維新までの177年間幕府直轄の行政、財政、警察などの政務を行っていた建物です。その後も高山県庁舎として1969年まで利用されていたそうです。
その後文化財として保存する方針が示され、16年の歳月と20億円もの費用をかけ、
1830年の絵図を基に蔵番長屋、郡代役宅、奥座敷などがほぼ江戸時代の状態にまで
復元されました。
木材の資源が豊かな場所で瓦は雪の重みで傷みやすいため、屋根は杮葺き。
御蔵の屋根は石置長榑葺き(いしおきながくれふき)、
30㎝位の長さのくれ板を敷いて石でおさえてあるだけの屋根です。
裏表差し替えを行いながら20年同じ板を使うそうです。


ガイドさんに教えてもらった話で興味深かったお話です。
①身分によって部屋のしつらえが違います。
 一番偉い代官の利用する部屋、部下たち役人の部屋、もっと下の者の部屋
 とだんだんシンプルな造りになっていきます。
 建具のデザインも格子入りから板だけのデザインになったり
 畳の縁も、柄入り→無地→縁無しとだんだん無駄のない仕上げになっているそうです。
②釘隠しが兎のデザイン。
 これは兎がたくさんこどもを産むので縁起物として、また火事から守ってくれる
 魔よけの力があるとされていたことからだそうです。
 この釘隠し、全部で150か所あるそうです。

江戸時代の建物ですが、所々に遊び心を感じました。
時代劇でよく見る吟味所、大広間、蔵、庭園等それぞれ見ごたえがある高山陣屋でした。
  (kusu)
(写真:上左・高山陣屋表門・上右 屋台)

(写真:中左・石置長榑葺見本、中右・庭園と御蔵)
(写真:下左・大広間、下右・真向きうさぎの釘隠し)


新緑の飛騨高山と白川郷①
 
新緑の飛騨高山と白川郷へ行ってきました。
小松空港からレンタカーで飛騨高山へ向かう途中ちょっと寄り道して、
日本三大庭園のひとつ兼六園を目指します。
すぐに兼六園へ行きたいところですが、
兼六園に隣接して重要文化財の成巽閣(せいそんかく)があるので
まずは成巽閣の正門と玄関を見学しました。
(写真:左上・中 辰巳長屋と正門・左下 成巽閣玄関)
成巽閣は文久3年(1863年)、奥方のために建てられた建物です。当初、巽御殿と呼ばれていましたが、金沢城から見て巽の方角(東南)にある事、京都の鷹司家が辰巳殿と呼ばれていた事にちなんで、こうした名前がつけられました。風格ある大名の書院造りと雅趣に富む数奇屋風書院造りの二つの様式を持つことが特色です。
門の脇にある辰巳長屋(たつみながや)は1822(文政5)年12代斉広(なりなが)が造営した竹沢御殿の長屋で1863(文久3)年に現在地に移築されました。県指定有形文化財です。
現在の辰巳長屋は当初77間の長さがあった長屋のうち17軒分が巽神殿造営の際に移築され門脇の長屋として使用されてきました。建物は入母屋造2階建て桟瓦葺、切石積みを基礎としており、南面と西面の外壁は塗龍壁(ぬりごめかべ)で、腰部分は海鼠壁(なまこかべ)としています。
(写真は左上の左壁部分)
さて、目指す兼六園です。
もともと兼六園は金城の外郭として城に属した庭でしたが
様々な変遷があったのち13代藩主斉泰が今に見る雄大な回遊式庭園の基礎をつくりあげました。
ここからの眺めはとてもよく、高台に城を建てる城主の気持ちがよくわかりました。
(写真:右上 ことじ灯籠・右下 根上松(ねあがりのまつ)


ここで一日目の午前中は終了です。
金沢の町は美しくて心に沁みました。
またあらためて 訪れたい町です。    (kusu)



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プロフィール
HN:
風土計画
年齢:
27
性別:
非公開
誕生日:
1990/10/01
自己紹介:
(株)風土計画 一級建築士事務所
福岡市中央区今川二丁目9-4
TEL 092-737-3633
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