KAZE通信

風土計画一級建築士事務所の事務所日記
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新緑の飛騨高山と白川郷⑤
 茅葺き民家の集落でとても有名な「世界遺産 白川郷」、念願の訪問となりました。まずは、城山天守閣展望台から萩町集落を一望。
torei4.jpg お天気にも恵まれ、テレビや本で何度も見たことのある合掌造りの集落群が眼下に広がり、ワクワクが止まりません。 さっそく展望台を後にし、集落近くの公営駐車場に車をとめ、いざ集落へ。駐車場にある土産屋も、トイレもほとんどが合掌造り。そこはまるでテーマパークのようでした。
 生活と観光が共存していて、もちろん観光を対象とした仕事でない方も住んでいる。そのなかで、どうしたらここまで維持できるのだろうかと疑問に思い、旅行から帰ったあと調べてみました。
 江戸中期から昭和初期に建てられた合掌造りは、ダム建設による集落消失、小集落の集団離村、火災、建物の転売(他地域への移築)等で、大正13年には約300棟あったのが昭和36年には190棟まで激減。このままでは白川村に合掌造りがなくなってしまうと住民たちが危機感を抱き、昭和46年には、地域内の資源を「売らない」「貸さない」「壊さない」の3原則をかかげ、「白川郷萩町集落の自然環境を守る会」が全住民の総意で発足、保存活動が始まったそうです。全住民の総意というところが、すごいですね。
 この活動が実をむすび、昭和51年に国の重要伝統的建造物保存地区(伝建地区)に選定、平成7年には世界遺産に登録されました。平成9年には「(財)世界遺産白川郷合掌造り保存財団」を設立。財団になり、集落内の住民の生活環境を向上させ永く後世に継承していけるよう、運用益を活用して柔軟に対処できる組織となったそうです。
 集落近くの公営駐車場の駐車料金には集落保全の協力金が含まれているとのことでした。この財団では、差し茅、棟茅葺替え、修理費、トタン屋根の部分を茅屋根の色彩に調和したものに葺き替え・塗り替えする際等にも助成をしています。国庫補助事業の対象であっても、個人負担が過大なため、この助成は大きな役目をしているようです。観光に関わる仕事をしていない所有者に対して助成の配慮があるというのも、集落全体で取り組んでいる故だと印象的でした。また、散策中田んぼと合掌造りの組み合わせがより魅力的にしていると思っていたのですが、集落の田んぼを保全するため水田復旧事業という取り組みも財団で行なっているそうです。(Tsuki)
新緑の飛騨高山と白川郷④
 ちょっと建物探訪から外れます。torei4.jpg 
 夕食は地元の食材ばかりで、とても美味しくいただきました。そのなかで、山魚の塩焼きに違和感が。私は、海魚も山魚も、頭の方を左に、そして迷うことなく手前に腹がくるように盛り付けるものだと思っていました。しかし、川魚は背の方に脂がのっているので、手前に背がくるように盛り付ける、「海腹山背」という言葉があるそうです。一瞬間違って置いたのかと思いましたが、興味深い説明を聞くことができました。
 食事中、床の間にあった書が解読できず、気になったので会場の方に聞くと「すみません、わかりません。自分も気になっていましたので、他のものに聞いてお答えします」と。そのまま夕食を終えたのですが、翌朝フロントで、その方からのお手紙を受け取り、書の内容と意味が書き添えてありました。丁寧な対応に心があたたまりました。こういうことが本当に大切だと思いました。
 朝食では、高山名物の朴葉味噌焼きに赤かぶ漬けも堪能し、心置きなく高山を出発と思っていましたが、高山の最後に「宮川朝市」へ。地元の野菜、赤かぶ漬け等のお漬物、りんご、民芸品等が並ぶテントが宮川沿いにずらり。早朝から多くの観光客が集まっていました。飛騨高山で作られる人形・猿の赤ちゃんを意味する「さるぼぼ」を並べるお店もあり、家庭円満・家内安全・厄除け等のお守りということで、一つ記念に購入。地元の方との素朴で気さくなやりとりが楽しかったです。この後、レンタカーの中はお土産に買ったお漬物の香りが。これもいい思い出です。
 いよいよ最後の訪問地・白川郷へ出発です。(Tsuki)
新緑の飛騨高山と白川郷③
 
 今回もひきつづき飛騨高山のレポートです。
JR高山駅から少し離れた静かな通りに古い町並みが保全されています。
その中でも日下部家と吉島家は隣り合って建てられていて
飛騨高山を代表する町屋建築です。
今回は巨匠チャールズムーアが来日した際、
自分が見たうちでは最高の日本建築であると絶賛した吉島家を見学することができました。
吉島家は明治38年の火災後に明治40年名工西田伊三郎によって再建されたもので、昔の造り酒屋の面影を伝える商家です。
正面入り口、引両紋(ひきりょうもん)のはいった暖簾をくぐると
広い土間になっています。
囲炉裏が土間を介して2ケ所あり、主人と使用人のもののようです。
ここにも、2つの部屋には畳の縁や建具等の造りに違いが有りました。
土間の吹抜は大黒柱を中心に梁、束が立体格子となっていて、夕方なのに高窓の光が土間を明るく照らしていました。
吹抜部分で天井空間は一体となっているのに繊細なデザインの建具だけで部屋が隔ててあり、 (しかも障子)こんな造りもあるのだと感じました。
1階土間奥はモダンなデザインのギャラリーとなっていて町屋造りに溶け込んだ空間となっていました。
2階の床は段差が多く、空間を有効に使う手段なのでしょう。天井もアールを付けたり、折り上げたりと屋根の形に添わしたデザインになっていました。天井材料の使い分けの参考にもなりました。
2階奥には床の間付きの座敷があり、寒い地方なので2階の一番暖かい場所に大切な部屋が設けられてあるのでしょうか。
 
 吉島家を見学して感じたのは木材の加工も美しいのですが、梁、柱、床板どれも艶が出るほど磨かれており大切に使われていました。日々の丁寧な暮らしがあったのだなと感じました。

(写真:左・酒神を祭る三輪神社の杉玉を軒先に下げている
(写真:右上・立体格子の土間奥に少し写っているのがもう一つの囲炉裏部屋)
(写真:右下・2階奥の座敷、床柱はふじの木)

<Kusu>
新緑の飛騨高山と白川郷②
 
 今回は飛騨高山のレポートです。
JR高山駅付近の中心市街地は江戸時代以来の城下町・商家町の姿が保全されており
その景観から飛騨の小京都と呼ばれています。
高山市内の古い町並みを散策中、屋台蔵に収納している途中の屋台を見ることができました。
屋台に描かれているのは鯉でしょうか? 金具、漆工、織物どれも美しく絢爛豪華でした。

飛騨高山ではまず、全国に唯一現存する郡代・代官所高山陣屋を見学。
幸運にもガイドの方についていただくことができ、より詳しく陣屋見学ができました。
< 高山陣屋は江戸幕府の郡代所で明治維新までの177年間幕府直轄の行政、財政、警察などの政務を行っていた建物です。その後も高山県庁舎として1969年まで利用されていたそうです。
その後文化財として保存する方針が示され、16年の歳月と20億円もの費用をかけ、
1830年の絵図を基に蔵番長屋、郡代役宅、奥座敷などがほぼ江戸時代の状態にまで
復元されました。
木材の資源が豊かな場所で瓦は雪の重みで傷みやすいため、屋根は杮葺き。
御蔵の屋根は石置長榑葺き(いしおきながくれふき)、
30㎝位の長さのくれ板を敷いて石でおさえてあるだけの屋根です。
裏表差し替えを行いながら20年同じ板を使うそうです。


ガイドさんに教えてもらった話で興味深かったお話です。
①身分によって部屋のしつらえが違います。
 一番偉い代官の利用する部屋、部下たち役人の部屋、もっと下の者の部屋
 とだんだんシンプルな造りになっていきます。
 建具のデザインも格子入りから板だけのデザインになったり
 畳の縁も、柄入り→無地→縁無しとだんだん無駄のない仕上げになっているそうです。
②釘隠しが兎のデザイン。
 これは兎がたくさんこどもを産むので縁起物として、また火事から守ってくれる
 魔よけの力があるとされていたことからだそうです。
 この釘隠し、全部で150か所あるそうです。

江戸時代の建物ですが、所々に遊び心を感じました。
時代劇でよく見る吟味所、大広間、蔵、庭園等それぞれ見ごたえがある高山陣屋でした。
  (kusu)
(写真:上左・高山陣屋表門・上右 屋台)

(写真:中左・石置長榑葺見本、中右・庭園と御蔵)
(写真:下左・大広間、下右・真向きうさぎの釘隠し)


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プロフィール
HN:
風土計画
年齢:
26
性別:
非公開
誕生日:
1990/10/01
自己紹介:
(株)風土計画 一級建築士事務所
福岡市中央区今川二丁目9-4
TEL 092-737-3633
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